1979年にUH-60Aとしてアメリカ陸軍が採用した軍用ヘリを、シコルスキー社が民間用ヘリとして売り出したのがS-70である。しかしエンジンは、あの有名なゼネラル・エレクトリック社のT-700GE-700であり、軍用タイプと出力が変わらない為、1,625馬力の大きな力を発揮できた。1980年年代UH-60としてではなくS-70として台湾に輸出したのは、アメリカが中国大陸の政府の圧力を気にしての事かもしれないが、1980年代には同じS-70C-2タイプが22機大陸の中京政権にも販売され、軍用機として成都軍区で使われているので政治的バランスが関係しているものと考える。
救護中隊
Wings
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S-70C-1と呼ばれる初期導入型は14機、機体ナンバーは、7001〜7014号機までである。導入後これ迄のUH-1Hと比較し大幅に活動範囲が広がり、特に海抜の高い台湾山岳部での捜索活動に期待が持たれた。左右に貼りだした翼には、最大4つまでの燃料タンクをつるすことができ航続距離も伸びたようだ。それまで飛行機事故で山間部にベールアウトしたパイロットと交信はできてもUH-1Hでは捜索できる範囲が限られ、負傷したパイロットを漸く救出しても手遅れで病院で死亡するなどの事例が多かったが、このS-70C-1を導入後は海上・山岳部共に長時間にわたる捜索が可能となり戦闘機パイロットにとっても強い味方である。
配備当初のS-70C-1は、御覧のように非常に美しいマリンブルーに救難隊を示す尾翼の黄色い帯があった。下面は抜けるような白色で人気も高く、多くの空軍基地公開で展示された。写真上から7005と7007号機は新竹基地で撮影。7011は、嘉義基地にて展示されたものである。そして下段の7010号機は花蓮基地での展示である。下写真のホバリングしている7011号機は、新竹での展示フライトの様子を捉えたもの。
台湾空軍は、地域ごとに救難隊があるのではなく嘉義基地に1つの部隊として集約されている。1950年に第10大隊救難分遣隊として嘉義で創設され、最初に受領したのがPBY-5Aカタリナ飛行艇である。その後H-19,H-13,H-5と救難用にヘリを用い、1966年からHU-16アルバトルス飛行艇を使用開始した。1977年10月10日から 新鋭ヘリUH-1H6機が導入され、シコルスキー製のS-70は1986年6月から装備されている。
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